中国には人の生まれ年の干支(えと)にまつわる文化が存在する。干支は「えと」とも言われる。その「えと」に12種の動物を配したものである。12種の動物はそれらの順序によって並べると、つまりネズミ、ウシ、ト
中国の民間楽器の出現と発展
中国の民族楽器は悠久な歴史があり、大昔の頃にすでに現れ、ずっと発展をとげてきた。出土した文物は、早くも秦の統一(前221年)以前(一般に春秋戦国時代〔前770−22
浙江省の東部。その海辺のごく普通の漁村――石塘。同省にある艶やかな西湖、あるいは小橋と水の流れで有名な紹興とは比較にならないかも知れないが、建物は非常に特色に富んでいる。石の家が海辺の山の崖に折り重な
内蒙古自治区のフルンベル草原。その錫尼河畔に住む遊牧民族、蒙古族(プリヤトゥ)の大半はすでに定住生活を始めた。それでも今もなお、半定住の「泥包」生活を送る人々がいる。
「泥包」の外観はフェルト
広東省の仏山市は紡織、陶磁器、エレクトロニクス、家電を主体にした繁華な現代的な都市だ。その一角に古い巷(こう?横丁)が、林立する高層ビルに挟まれるかのように存在している。昔日の姿を今に残す巷だ。
中国北方の住宅と言えば、北京の四合院が代表格だ。伝統的な民居として、元の時代(1271〜1368年)に建てられ始めた。ただ、今現存する四合院の大多数は清の時代(1644〜1911年)から1930年代に
中国の諺で「高楼、万丈にして平地に起つ」と言う。ただ、例外もある。湖南省西部に点在する「吊脚楼」がそうだ。
湖南省西部は山紫水明の地。この土地に世々代々暮らしてきたトウチャ族やトン族などの生活
雲南省大理市の喜洲郷にある田荘賓館はもともと、私邸だった。その風格から言えば、非常に典型的なペー族の建築物だ。
遠くから眺めると、風格ある立派な門楼に背の高い白壁、青味がかった灰色の瓦屋根と、
ずいぶんと遠い昔、はるか遠い北方から黄土が風に乗って西北高原まで運ばれ、一日また一日と、そして一年また一年と繰り返されるなか、陝西省北部の地にとてつもなく広く、また土層の厚い黄土地帯が形成されていった
党家村は陝西省韓城市から東北へ約10キロのところ、ひょうたんの形をした谷にあって、沁水河が村を貫いて流れている。黄土の台状の地に立って下を眺めると、緑の木々の間にうっすらとした青レンガ瓦の家が並び、高
中国には東西に長江、黄河文化地帯、それに西部の山脈が横断する地区を流れる金沙江、雅礱江が織り成す峡谷地帯がある。多くの民族は地理的条件などから峡谷に沿って南北に往来、移動し、子孫をつくり
江南第一の大屋場(分家した一族が集まって暮らす集落)と呼ばれる張谷英大屋場は保存状態のよい古代建築群で、すでに500年以上の歴史をもつ。その建築規模の壮大さ、建築風格の独特さ、建築芸術としての優美さで
江南は素晴らしいとよく言われるが、古今を通じてどれほどの詩人や墨客が秀麗な詩歌を残してきたことか。詩的な境地に達せなくても、小橋や流水、人家をこの目で見たいと思った。だが、バスを下りると、周囲は現代的
江西省婺源県にある紫陽鎮。まるで半島にでも来たようだ、というのが第一印象だった。三面が水に囲まれ、一面は山を背にしている。周囲の山には一年を通じて緑豊かな広大な茶畑が広がる。緑樹のなかに
安徽省南部、黔県の西逓村は明清時代(1368〜1911年)の民居がかなり完全な形で残る村落である。緑のなかに映る白壁と青瓦の家々、祠堂、鳥居、楼閣に安徽の典型的な建築風格といにしえの風韻
上海テレビ塔の展望台から俯瞰すると、市街地は低い赤色の屋根でぎっしり埋め尽くされている。こうした家々が上海で有名な石庫門の住居だ。
石庫門住居は歴史が上海に残した一つの遺産、とも言えるだろう。
陝西省南部襄汾県内を流れる汾河の東岸に丁村と呼ばれる村落がある。小さなところだが、非常に引き付けられる村だ。50年代に地下から30〜10万年前の人類の遺跡が発見されたことから、丁村は旧石
「大寒」は一年の最後の節気であり、気象の記録の中では大雪から冬至、小寒までの間のように寒くなっていないが、依然として寒い時期にある。わが国の風習では、特に農村では、「大寒」になると、人びとは急いで古い
毎年の1月5日前後は小寒の節気である。民間には、小寒、大寒になると、寒さは氷のごとしということわざがある。小寒は寒さの度合を表し、字面から理解すれば、大寒は小寒より寒いが、気象の記録の中では、大寒より
冬至はきわめて大切な節気であり、重要な祝日の一つでもある。冬至は毎年12月22日あるいは23日であり、その由来は暦法と直接関係がある。昔は「斗が戊を指すと、この時には陰気が明らかに衰え始め、陽気の至り